セメント森

万物の存在は無意味か?


第1章 坊やの人間否定/(1)なかよし倶楽部

 パパ、大丈夫?

 よく来たね。ほら、そこにパパの会社の人がお見舞いに持ってきてくれたメロンがあるよ。ママに切ってきてもらうといい。

 ママ!

 はいはい。じゃあママ、食堂へ行ってお皿や何かを借りてくるから。あんまりパパを疲れさせちゃダメよ。

 うん。でも凄いね、パパ。こんなに果物。

 あの連中、パパが胃潰瘍だってのに…。気の利かない奴らだ。

 ねえ、「いかいよう」って何?

 胃に穴が開いちゃう病気だよ。

 え、どうして穴が?

 うーん。パパの場合はね、きっとストレスが原因だろうって。ストレスっていうのは…そうだな、簡単に言うと「お仕事したくない」って思うことかな。お前は「学校に行きたくない」って思ったことあるかい?

 ないよ。だって楽しいもん。もうすぐ2年生になるんだよ。

 よしよし。だったらお前はストレスの心配はないな。

 ねえ、病気になっちゃうくらいなら、会社やめちゃいなよ。

 ははは。そうも行かないんだよ。大人は働かなくちゃ。

 何で大人はみんな働いているの?

 働くとお金をもらえるからだよ。

 どうしてお金が必要なの?

 食べるものや着るものを買ったり、家賃を払ったり、おもちゃを買ったりするためだよ。

 どうしてポチは働かないの?

 ポチの食べ物はパパの稼いだお金で買っているからだよ。

 ふうん。−−−ねえ、パパ。ぼくも大人になったら働くの?

 そうさ。

 ぼく、働くの、イヤだな。だって毎日遊べないもん。

 遊ぶためにだって、お金が必要だよ。それに家賃はどうするの?食べ物も買えないよ。

 −−−この間、海に行ったよね。そいで、イルカを見たよね。

 可愛かったね。

 イルカも働いてるのかなあ。

 うーん、イルカは働いてないと思うよ。

 どうして?食べる物はどうしてるんだろう?

 イルカは魚を捕まえて食べるんだ。買うわけじゃないからね。

 じゃあ、リスは?リスは木で出来たお家に住んでるし、働いてないよ。

 リスと人間は違うんだよ。

 人間だって、森に木でお家を作って、キノコや木の実を食べればいいんだよ。

 そういうわけにもいかないさ。お肉だって食べたいだろう?お魚は?

 森の動物のお肉があるさ。それに食べられないんだったら、お肉は食べなくたっていいよ。べじたりあん、ていうんだよ、お肉食べない人。

 難しい言葉を知っているね。偉いぞ。

 それにお魚は魚屋さんで…

 ほら、魚屋さんでお魚を買うにはお金が必要だろう?やっぱり働いてお金を稼がなくちゃ。

 ………人間がみんなお金の要らない生活をしてればいいんだ。そうすれば海の近くに住んでいる人に、木の実と換えっこしてもらう。

 換えっこしてもらうために木の実を採るだろ?それも「働く」ことのうちに入るんだよ。

 それなら、ぼく、働いてもいいよ。

 パパの仕事もそれと同じことなんだ。

 違うよ。

 同じだよ。木の実とお魚の換えっこが、ちょっと複雑になっただけだよ。

 違うよ。

 どう違うの?

 木の実は自分が食べて、お魚と換えられるだけ採ればいいんだ。森に住んでれば家賃もいらないし、着る物だって動物の毛皮や木の繊維から作ればいいんだ。昔の人はそうだったんだよ。パパ知らないの?

 ちょっと話をしないうちに随分いろんなことを覚えたね。でもやっぱりパパの仕事と、木の実を採るのは同じことだよ。パパは木の実を採る代わりに自動車を売ってお金を貰う。それで食べ物や洋服を買うんだ。

 物流だけ見れば同じかもしれないけど、全部ひっくるめて「経済」になっちゃうと違うんだよ。

 お、お前…

 円高だとか、輸出規制だとか、国内需要がどうだとか。いろんなシガラミが出てくるじゃないか。

 ………

 そうだろ?それに残業だとか、過労死だとかさ。一体生きるために仕事をしてるんだか、仕事するために生きてるんだか、分かんないよ。パパは本当に自動車のセールスマンになりたかったの?それがパパの夢だったの?

 パパは作家になりたかったんだ…。

 だろ?自分の夢通りの職業に就けた人なんて、ほんの一握りなんだよ。したくもない仕事をして、ストレスためてさ。それが生きるってことなの?だからぼく、仕事なんてイヤなんだ。

 確かに…パパもストレス性の胃潰瘍でこうして入院……

 あ、パパ、胃潰瘍じゃないよ、胃ガンだよ。

 え……

 まあ、いいや。今そんなこと話してるんじゃないんだ。

 しかし、お前、今パパが胃ガン……

 ねえ、人間て、どうして存在してるのかなあ。

 胃ガン……

 他の生き物って、それなりに存在する理由があると思うんだ。つまり、食物連鎖っていうやつだよ。弱肉強食の世界。植物は地盤を保ったり、草食動物の食糧になったりするし、土の中のバクテリアだって、死骸を腐らせて土に戻すっていう役割があるんだ。でも人間って、食物連鎖から外れてるよね。そりゃあ、原始時代は人間も肉食動物の餌になってただろうし、植物を採集することが「間引き」として作用したり、植物の種を運ぶのに一役買ってたりしてたんだと思う。ちょうどハチが花粉を運んで植物を受精させるみたいにさ。
 でも今の人間の世界は違うよ。まず動物に喰い殺される人間なんて、年に何人いる?肉も野菜も、食べるために育ててるみたいなもんだ。養殖や栽培で食糧を作ってるんだから、野生の動物も植物も、関係ないのさ。酸素をつくる密林地帯だって平気で焼き畑にしたり、開発のために伐採してるんだしね。
 つまりさ、人間は浮いちゃってるんだよ、この世の中から。勝手に人間同士の取り決めをつくって、その中でしか生きてないんだ。陰気で野蛮な「仲良しクラブ」みたいなものだよね。そうは思わない?パパ。

 なあ、パパがガンだって、本当なのかい?

 うん、パパはガンだよ。  でも人間って、地球のガンだよ。
 だからさ、ぼく、近頃人間の存在理由ってなんなんだろうって考えちゃうんだよね。人間は所詮、「仲良しクラブ」の中でいかにいい役を果たすかっていう、ちっちゃい目的のために生きてるの?ちょうどパパが課長になりたいって思ってるのと同じように。

坊やの人間否定(2)へ

ご意見・ご感想などありましたらどうぞ。 napoben@clapstick.com

インデックスへ
「セメント森」へ