『こわれゆく女』など監督作を発表し、「インディペンデント・ムービーの父」とも呼ばれるジョン・カサベテス。
その彼が変名でコロンボを監督したという噂が…その真相とは? この一件に関してVoCFに書き込まれた コメントを再掲載しました。 |
しかし「白鳥の歌」の場合、カサベテスは1972年に撮影開始する「こわれゆく女」が資金の問題で
度々中断したため、フォークの口利きで匿名のアルバイトをしていた可能性もゼロではないと思われます。
(「こわれゆく女」のプレミア上映は1974年のニューヨーク映画祭。正式配給は75年。)
カサベテスは監督の組合員ではなかったので、実名だと妨害が入る可能性があったからです。
これは赤狩り以降、非組合員がよく使った手です。
コラサントの名前は「黒のエチュード」での知己で借りたか、もしくは部分的に演出を担当したのかもしれません。
無論、推測の域を出ていないのですが…この時期、カサベテスもジーナ・ローランズも
公表されているフィルモグラフィー上では不可解なことに他の仕事を全くしていないのです。
カサベテスは大抵自腹で映画を撮っており、カサベテス=コラサント説の混乱にはそれなりの’火元’があると
考えた方が自然ではないでしょうか?
ちなみに本物のニック・コラサントは「レイジング・ブル」のマフィアのボスやヒッチコックの「ファミリー・プロット」の誘拐された富豪の他、ジョン・ヒューストンの「ファット・シティ」にボクシングコーチで出演し、1985年に61歳で亡くなっています。監督としての業績はよくわかりません。